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小林恭二氏スピーチ(作家) |

(こばやし・きょうじ)
1957年兵庫県生まれ。84年『電話男』で海燕新人賞を受賞してデビュー。主な著書に『小説伝・純愛伝』『ゼウスガーデン衰亡史』『瓶の中の旅愁』『俳句という遊び』『父』など。『カブキの日』で第11回三島由紀夫賞を受賞。
先ほど、鄭甲寿実行委員長から「次、出番や」と、いきなり言われまして、それに、昨日夜11時ごろに梁石日さんが飲み屋からの電話してきまして、「きみ、明日なんや、スピーチやるそうやな」と言われまして、それで大慌てで文案をねったわけです。私がワンコリアフェスティバル、鄭甲寿実行委員長と関わるようになったのは、たしか第3回・4回目のときでしょうか。わざわざ鄭さんが我が家まで出向いてくださって、熱弁を振るわれてそれ以来虜になってしまったのですが。それで、非常に印象に残っていますのは、現在にいたるまで終始一貫しておっしゃってられました「ワンコリアフェスティバルは出会いの場、人と人とが出会う場である」という事でした。しかし、この意味がわかってきたのは最近の事です。ワンコリアフェスティバルで、色んな人が関わっていますから、実行委員会会議やスタッフがこれを機会にして知り合って、仲間の輪をひろげていくということだと思っていたわけですが、最近もうちょっと大きな意味があったということに気付きました。ワンコリアという言葉の意味ですが、もう十何年も聞いていると聞き慣れたといえばそうなのですが、非常に高い衝撃力が込められた言葉であると、厳格な政治的な緻密性というか、地球上の政治的な意味合いとは一線を画すという強烈な意味合いを秘めたものだとは思います。
これは16年のワンコリアフェスティバルの歩みを見ていけば非常に分かりやすいのですが、理想を高く掲げながら、現実的なある種の妥協というものがいくらもなかったということです。ワンコリアという言葉は、理想の高さと強さを実証していく苦闘といいますか、その流れがこの16年間あったわけです。ただそれによってその苦闘の中で、ワンコリアという言葉は非常に強くなってきたわけです。ワンコリアという言葉は、試されてきた、鍛えられてきたわけです。その高い理想と共に、思い付きではなくて、意志の堅固さを見せてきたというわけです。その言葉のもとに、その言葉を媒介にして人と人とが出会えるというのは非常に素晴らしい事だとおもいます。首脳会談が行われることになったわけですが、このワンコリアという言葉、強い言葉を必要としているのはやはり、金大中大統領であり、金正日総書記だとおもいます。彼らは、もちろんこの言葉を使わないと思うのですがおそらく必ず、彼らの耳にはもうこの言葉が届いているとおもいますし、そしていつかはこの言葉を使える日を念願している人々がいると思います。もちろん長い時間がかかり、いろんな紆余曲折を経ると思いますが、彼らが、もしくは彼らの次の次の代の人々が、このワンコリアという言葉をつかえるようになれば、それが一つの夢の実現という言葉が正しいのかわかりませんが、夢が達成された事になるでしょう。そういう意味では、誰かが集う場としてのワンコリアという言葉を作り上げてきたワンコリアフェスティバルに敬意を表するものです。ワンコリアという言葉が人々を集わせる魅力を放つような、そしてその言葉が現実的に牽引していくような力を持って行くであろうし、持っていくことを望んでやまないわけです。
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