(3/3ページ)

対談  松井章圭 & 錦織一清


認め合って、役に立ち合ってこそ本当の国際化

taidan9802-6.jpg (2158 バイト)松井::大山先生が、極真の精神としてこういう事を言っています。「頭は低く、目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点とし、他を益する」。要するに、謙虚でありながら志しは高く大言壮語なく、寛大な心と包容力をもつべし。それから「君たち、親孝行ができない人間は、何もできないよ。親孝行ができる人間が、社会に奉仕し、国家にも忠誠を尽くせるんだ」とおっしゃった。社会に奉仕し国家に忠誠・・・と言うと誤解されやすいのですが、これは今の社会でも必要な事だと思います。同時にこうも言っています。「君たち武道をやる人間は、国家、民族、人種、宗教、思想、政治、こういうものを超えたところにあらねばならない」。この二つは相反する言葉に聞こえますけど、その根底に流れるものはいっしょだと思います。つまり、私は私の両親を愛する。私の社会や国家を愛する。私の場合の国とは、私が身を置いている日本と言う国家と、私のルーツである韓国・朝鮮と言う国の両方です。同じように錦織さんにも錦織さんの両親があって愛しているし、錦織さんの社会がある。自分が自分の家族を愛する事を知っているからこそ、他人も同じように家族を愛している事が分かる。自分と言うものを通してしか、人を理解できないわけですからね。民族もそう、国家もそう。君が君の国を大切に思うのと同じように、私も私の国が大切だよ、ということです。つまり、互いに認め合い、尊重する精神ですよね。

錦織::さっ痣ができて痛いと言いましたけど、自分に痣ができた事で、僕は人を殴るとどれほど痛いかが分かる。でも痣ができた事のない人は、それが分からないわけですよね。それも同じ事ですね。

松井::まさにそうですね。

taidan9802-7.jpg (2038 バイト)
錦織::
ジークンドーと言うのは肯定論しかないんです。この人のこの部分はいいよね。あの人のあの部分はいいよね、といった具合に、常に肯定できる部分を探して認めていく。それがジークンドーの精神です。僕はジークンドーを始めて、そうした精神を学んでいるうちに生きていく事が楽になってきました。他人に対して、「あいつのここが嫌だよな」とか、「あいつはあそこが悪いよな」と言った考えをしていると、ものすごく疲れてくるんですよ。でも、すべてに関して「あいつのあそこはいいね」と相手の良さを認めるような肯定的なものの見方ができるようになると、どんなに楽になるか。

松井::そういう考え方ができると、これからジークンドーも強くなるし、いいところまでいくと思いますよ。格闘技をやる人間が陥りやすい問題として、相手を否定したくなる事があるんです。相手の弱いところと自分のいいところを比べて、自意識の中で相手に勝とうとする。でもそれでは、伸びない。常に相手のいいところと、自分の悪いところを比べなくてはいけない。そうすると自分に謙虚になれるし、相手のいいところは取り入れられる。そういう事ができる人は、必ず強くなりますよ。自分が見たくない自分、自分の弱さに対峙しない限り、本当の力を得る事はできない。これはまさに民族間も国家間も同じですよ。自分の国家だけがいいと思っていたら、相手を認める事ができない。

錦織::認め合うというのは、すべての事の基本ですよね。僕はそれをジークンドーをやる事で実感しています。

松井::今、国際化といわれていますが国際化とは色をなくしてみんな同じ色になる事ではなく、逆に色を鮮明にする事だと思うんです。たとえば日本を白とする。そこに赤い点がポンと落ちたとき、真っ白になってしまうのでは、赤い点の役割は何もなくなってしまう。赤が持っていた文化や習慣を何らかの形で生かすと、白と赤からきれいなピンクが生まれる。存在としての赤はそのままあっていいけれど、赤の周りに美しいピンクが生まれることが、本当に理解しあう事だと思います。お互いに自分の色で相手を塗りつぶすような事を考えていては、これからは駄目ですね。そういう意味で認め合って、役に立ち合ってこそ、本当の国際化だと思います。


正義なき力も 力なき正義も無能

錦織::ブルース・リーという人は、最初のころは香港に帰ると、中国人にみてもらえなかった。何か異なものがきたと思われてしまう。それでアメリカに住んでいるときには、アメリカ人にみてもらえない。僕はいったい何人なのだろうと思った事があると、インタビューで読んだ事があります。

松井::私たち在日コリアンとまったく同じですね。

錦織::今の時代ならまだいいと思いますけど、ブルース・リーの時代は30年前だから、かなり大変だったと思います。

松井::これも先代の言葉ですけど、「力なき正義は無能なり、正義なき力は暴力なり」というのがあるんです。我々在日コリアンが、力のないところでいくら正義を唱えたところで、本国も聞いてくれない、日本も聞いてくれない。私たち在日コリアンは、いくら悲しい歴史があるにしたって、これからも日本で暮らすのであれば、日本に対しても有益でなければならない。在日コリアンにとっては本当に英雄ですが、野球の張本勲さんという方は、韓国でも国民的英雄だった。彼が日本のプロ野球界で第一人者だったからこそ、韓国の国民も認めたんです。それは「力」です。張本さんは日本の子供たちにも夢を与えたし、日本のプロ野球界にも貢献したし、だから韓国でも日本でも英雄になれたんですね。だから私たちは、自分自身がいかに成長し、どんな人物になれるかが勝負だと思います。本当の力を持てば、たったひとことでも、そのひとことが重いものになる。

錦織::ブルース・リーも、結果的にあれだけの大スターになった事で香港の人やアメリカ人はもちろん世界中から認められる英雄になったんですよね。

松井::そうだと思います。もっとみんながみんな、ブルース・リーや張本勲になれるわけではない。ですから、もっと簡単な事でもいいと思います。たとえば日本人が、私が在日コリアンと知って私とあおうとする。するとその日本人は、私という人間を通して「コリアンとはこういう人間なのか」とみる。そういう意味での責務は、誰にでもあると思います。日本人も同じでしょう。海外で何もジャパニーズの事を知らない人間が一人のジャパニーズとであったら、その人を通して「日本ってこういう国なんだ、日本人ってこうなんだ」と理解する。海外旅行に出かけた日本人の、ちょっとした行動や発言で、日本はこうだと決め付けられてしまう。逆に言うと、誰もが民族や国家に対して、平等に責務を負っているという事だと思います。

錦織::おっしゃる事は、よくわかります。でもなかなか、そういう意識を持つのは簡単ではありませんよね。

松井::格闘技の話に戻りますと、格闘技というのは繰り返しになりますが、最終的には、戦わない極意に達するために精神を修養するという事だと思います。

錦織::そういうお話を伺うと、試合がない方がいいかもしれないというのは、分かる気がします。精神が未熟だと、つい腕っ節が強くなる事を目標にしがちですから。もし腕っ節が強くなりたいだけなら、極真だとかジークンドーとか、看板を背負わないで、薪でも割ってればいい。

松井::看板を背負うという事は、責任を持つ事ですからね。さっきの民族や国家に対して責務を負っているのと、まったく同じ事だと思います。


 

□ 前ページ ■


もどる

 

©1985-2001 OneKoreaFestival. tel,fax/06-6717-6645  mail:Webmaster