トーク  喰始 & ねもとまさ

 



われらの教訓
その1。
一つの価値観に
惑わされて動くと
大きなマチガイを
招くこともある。

――ところで、ワンコリアフェスティパルは「南北統一」という政治的テーマをイデオロギー抜きで語ろうとしているわけですが…一般的に、政治世相が一気に変わると価値観も当然変わってくると思うのですが。
喰■■今の日本は表立った問題もなくて平和な国だけど、70年代安保を見てきている僕らは、政治的権力には嫌悪感を覚えるものがありますね。
――どんなご経験をされたのでしょうか。
喰■■大島渚監督が横尾忠則さんを主演に映画を撮ったことがあって(※『新宿ドロボー日記』)、それに合わせてヒッピーの集まるフェスティバルがあったんですよ。僕はやじ馬で見に行ってただけなんだけど、集まっている連中は皆が「何か」に欲求不満という感じで。その時誰かが『焚き火だ!焚き火だ!』と叫んだことがキッカケでそのモヤモヤが大爆発して、さながら暴動のような騒ぎになってしまったんです。機動隊が出動してきて、ヒッピーもやじ馬も、その辺りをたまたま歩いていた人も、ともかく誰彼なしにボコボコにされて捕まってしまったんです。僕はそれ以来、権力だけを嵩にきているのを見るのはイヤなんです。そういう人達はまず理論武装がされていないし、ただ権力の成せるがままに動いているだけなんですから。だからワンコリアフェスティバルの場合も政治的思想や、一つのイデオロギーの固まりではあってほしくないと思ったわけなんです。
ねもと■僕もいわゆる全共闘世代なんですよ。言い方が悪いかもしれないけど、一種の流行にノセられたって感じだったな。今考えると、その頃学生運動で燃え尽きた人、いわゆるエネルギーを使い過ぎちゃった人は今は残っていないですね。今でも当時の友達に合ったりすると「ねもとは日和った」なんて言われますけどね。つまり僕の場合は、常に動いていたい、現在進行形でいたいんですよ。今回のワンコリアヘの参加もその一環っていうところかな。ワンコリアフェスティバル自体もいつも一つのイデオロギーで固まらないで常に前進、ステップ・パイ・ステップしてもらいたいですね。


日本で
売れてみるのも
悪くない。

――今度はお二人の芸術に関してのご意見をお聞かせ下さい。
ねもと■僕は何の表現でも、例えば舞台でも映画やアートの世界でも100%の枠までいってしまってはダメだと思う。日本は解りにくいものの方が芸術としてとらえやすいけど、解りにくいものはダメだと思うよ。「シンプル・イズ・ベスト」、これですよ。ねえ、喰さん?
喰■■そうですね。確かに解りにくいものの方が芸術視されやすいんですよ。「解らないモノは芸術」という括りで考えてしまうという方が正しいかな。「解りやすいモノは娯楽」という捉え方をする人が多いですけどね。
ねもと■日本ではアーティストは元来お金を持っていないもの、金欲は無いもの。持っている人はアーティストではない、という認識をもっている人が多いのですが、これはいわゆる日本の権威主義に関係しているようですごくイヤですね。それに昨今の傾向として海外でいち早く認められると、日本でも善し悪し関係なく認められるしね。だから僕はこの日本の中で純粋に売れるっていうのは、やっぱりスゴイことなんじゃないかって思う。ワンコリアもそういった意味では海外なんかで活動が認められると、日本の中での認知度っていうのも当然高くなってくるんじゃないかな。
――最後にこれからのワンコリアフェスティパルに対してのコメントを頂けますか。
喰■■これからも無節操主義なフェスティバルであってほしいと思います。
ねもと■来年も東京で出来るようにガンバってもらいたい。ニューヨークと上海でのフェスティバルをぜひともやりたいですね。この二つのフェスティバル実現がワンコリア成功への鍵だと思います。


インタビュアーヘの質問
ところで柳沼さんは今回初めてワンコリアに参加してどうでしたか。
柳沼●ワンコリアという願いのもとに、まずは在日の方の心がひとつに結ばれることが先決のような気がします。この活動を通じて、日本人にも理解し協力してもらえるようにワンコリアの目的をもっとはっきりされた方がよいのではないでしょうか。ただ今回参加してみて、皆さんの熱意が伝わってきて何かお手伝いができればと思ったのは確かです。このフェスティバルが在日の方と日本人、コリアの方との理解を深めるためのかけ橋になれば、それは素晴らしいことだと思うのですが。私も一人の日本人として、今後も何らかの形で支援させていただきたいと思っています。


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