ワンコリア・トーク 俵万智 & 鷺沢萠 & 金久美子 ”コリアの新い魅力、見つけた。”      -- 2/5ページ
 

 

 

若い世代にも残っている不自然な過敏さ

俵★★直接面識があるわけではないのですが、李正子さんという在日二世の歌人の方がいらっしゃいます。その方が歌集の中で、ご自分の体験や問題意識を表現されていて、私は具体的この歌集を通していろいろなことを知りました。ちょっとご紹介します。

しかしなお北も故国とおもう果て
        かなしみ満たす新聞を焼く
その海の果てはふるさとふるさとの
        大地はふたつ鳥は通えど
宿命のごとくも傷つけ合う言葉
        交わしどこまでか日本人と我ら
踏み迷う心の果てに歩みきて
        愛さむとする日本の風

 この方も日本で育った方なので、祖国と日本との間のの葛藤をたくさん歌にされている。私はこの方の短歌と出会ったことで、自分の中に一つ窓が開いたという感じがしました。
金★★私は高校まで日本名を使っていたんです。でも通名でも、近所の人たちはうちが在日朝鮮人の家族であるということを知っていたので、さほど不自然な生き方はしてこなかった。それが東京に出て来て日本名で暮らしていると、日本人だと思われでしまう。そのことによって、どこかで嘘をついているという感覚が生まれてしまうとイヤだなという思いがありました。だから何かに目覚めて本名宣言をしたというより、自然に生きたいなと思った時の選択が、本名を名乗るということだったんです。一人一人に説明をしてまわるのは面倒くさいし。先ほど、日本人の中に触れてはいけないんじゃないかという感覚があるという話しがありましたね。三世、四世、あるいは五世の時代になって、在日の若い人たちの間にも日本人が抱えている思いと同じようなものが意識としてあるんじゃないかという気がします。民族とか国とかでは分けられない、世代の思いみたいなものがあって、そういう人たちが自分を表現できる場所を探しながら生きている。でも日本名できてしまったから、なかなか打ち明けられないでいる。結婚問題がおきた時に初めて打ち明ける、みたいな状況がある訳ですから。そういう今の現状を変えていける場所を作っていく必要があるなと思います。
――★一世にとっては、故国というのは「帰る場所」という意識がかなりあったと思います。でも今の三世、四世の人たちにとって、故国はもはや帰るところではない。日本で生きていくことが前提になっている。しかし民族学校に行っていれば別ですが、100パーセント日本語で育ち、表現者であれば日本語で表現をする。北朝鮮で暮らしているコリアンとも韓国で暮らしているコリアンとも、メンタリティも違うわけです。その中でいかにアイデンティティを見つけ、どう自分を表現していくか。それぞれに悩んだり、考えたりしていると思います。鷺沢さんは日本人として生きてきた時間も持っているし、20歳を過ぎて自分の血を知ってからそういう問題とも向き合った。いわば日本人と在日の双方の思いを感じることができる立場にいるんですね。
鷺沢★私が自分の血のことを知って、いろいろなところで話し始めた時、「私は気にしないよ」とか、「俺はぜんぜんそんなこと気にしていないから」とか言う人がたくさんいたんです。私はそういう人に、気にしないってどういうことなのかを聞きたい。気にしてよ、というか。日本人はよくそういうこと、口にするじゃないですか。気にしないと言うことで自分がいかに太っ腹な人間か言いたがっているような気がして、なに勘違いしてるの?つて感じですね。そういうところをなくして欲しいなと思うし、そのためには先ほど久美子さんがおっしゃってたように、いろいろな在日同胞の人たちが自分はこう思っていると語るような場所がもっと増えたらいいと思います。日本人も「韓国の方なんですか?」なんて、いきなり「方」とか遠慮した言い方するのやめたらいい。とにかく、普通に身近にゴロゴロ在日の人がいるということを知って、自然に接してほしい。たとえば金本さんという人がいたら、「韓国系なんですか?」って自然に聞けるようになればいい。なんか、聞いちゃいけないって感じ、あるでしょう。アメリカは多民族国家ですから日本とは同じに語れませんけれど、たとえばアメリカにカウフマンさんという人がいたら、「ドイツ系ですか?」ってあたりまえに聞けるでしょ。
俵★★鷺沢さんの本の中で、友達どうしで集まっていてほうれん草のおひたしが食べたいなって誰かが言い出した……という件がありましたよね。その時、僑胞の子がゴマ油をかけて、ナムルみたいなものを作ってしまった。そのことを笑い話のつもりで日本人にしたところ、話された日本人はどこで笑っていいのか分からず、「しようがないよ、彼女は悪くないんだから」と気を使って慰めるように言った。あの話、とてもよく分かるんです。もしドイツ人がいて、誰かがお漬物を食べたいなといったらザワークラウトを作ってしまった……という話なら笑えるのに。本当にザワークラウトで笑うのと同じ話として受け止められるようになったら、と思いますね。
鷺沢★日本風の鰹節がかかっているほうれん草のおひたしが食べたかったのに、「じゃあ私作りまーす」とか言って台所に行って、いきなりゴマ油を入れて手でグイグイこね始めたら、それだけで私なんか笑いたくなっちゃうけど、日本人だとなぜかそうはいかない。
俵★★なんか、過敏になっている。もっと普通だったらいいのに。
鷺沢★こと朝鮮とか韓国に関することだと、みな何か一物あって、そんな一物なんかあるわけない若い世代の人まで、「一物あるんだ」というところだけ上から伝えられている。
金★★鷺沢さんみたいに、向こうに留学して面白いことは面白いし、嫌なことは嫌だし、きれいなものはきれいいっていう風にダイレクトに表現できた人が今までいなかったということがすごく不思議なの。人間的に普通に感じることを、在日なり日本人に伝えていくという作業がぜんぜんなされていない。今まで在日の作家やいろいろな人が留学したりして書いていますけれど、やっぱり自分の内部にこもってしまう。それが外に向ける刃になったり、日本に向ける刃になったり、自分の存在を問いかける方向にばかりこもってしまい、笑いとばすという風にはどうしてもなれない。そのへんの違いというのは、何だと思います?
鷺沢★私が向こうで友達になった留学生は、だいたい三世なんです。今までと確実に違っているなと思うのは、韓国人であることが罪になって生きるのに苦労したという経験がない子たちなんですよ。アポジやオモニの時代だと、国籍が理由で仕事がなかったり差別されたりしてたけれど、私たちはもともとある豊かさの中で生まれてきた世代なんです。そこがずいぶん昔と違うと思います。私が向こうであった僑胞の子たちは、言いたいことをなんでも平気で言うし、小学校の時にいじめられたような話しも、笑い話しにしてしまう。そういう意味では、豊かさを用意してくれた前の世代に感謝したいな。



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 (”言葉の力、芝居の力”)
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